春の犬山の風物詩、絢爛豪華な車山(やま)で有名な「犬山祭」は針綱神社の御例祭です。

 犬山祭は、針綱神社が名栗町にあった寛永12年(1635)、下本町と魚屋町が練り物を出したのが始まりとされています。その後慶安3年(1650)頃、尾張徳川家家老 犬山城主 成瀬隼人正正虎公の沙汰により、更に多くの氏子が行粧の車山練り物を出し始め、江戸中期までには今の犬山祭の原型がほぼ出来上がったと言われています。

 各町内より曳き出される車山は高さ約8m、上層より上山、中山、下山の三層よりなり、重厚な構造美を見せています。現存する13輌の車山は、平成18年3月15日に「重要無形民俗文化財」として国の文化財に指定されました。また平成28年12月に「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。この13輌の車山全部が「奉納からくり」を行うのは全国でも類がないと言われています。

 犬山祭の車山の中でも特に、満開の桜の中提灯の明かりに映える夜車山(よやま)の練行は、夜空に浮かぶ白帝城(犬山城の別名)と共に、絢爛豪華にして当代髄一の景観であるとも言われる程です。

 犬山祭は、もともと最初の針綱神社遷座日である旧暦の8月28日を本楽(本番の日)としていましたが、明治24年(1891)の濃尾大震災で城下が壊滅的な被害を受けたため、再び全町内が揃って車山を出せるようになった明治30年(1897)に、祭礼日を新暦4月へと変更しています。その後幾度かの変更を経て、今では4月の第1土曜日、翌日曜日に行われています。